キリスト教の愛と自由の精神に
基づく理念のもと、
子どもに寄り添い
共に生きる保育者を育てたい。
1931年大阪の天保山で、同志社大学・神学部卒の牧師である中村 遙・八重子夫妻が、貧しくて学校に通うことができない水上生活者の子どもを4人預かり、漁師小屋の2階で生活を共にしたのが、「大阪水上隣保館」の始まりです。その後、隣保館は現在地に移り、戦災孤児のための児童養護施設として再開、現在に至っています。この間、児童福祉施設で働く保育士の人材不足のため、「心から子どもたちを愛し、共に生きる保育士を養成するためには、自分たちの手で学校をつくるしかない」という思いから1971年に生まれたのが私たちの学校です。
「子どもたちのために」
中村 遙の思いがつながる
大阪保育福祉専門学校は、
保育・教育・福祉施設に囲まれた
全国で唯一の専門学校です!
虐待や家庭の事情で
親と離れて暮らす
子どもたちの家
乳児院では2歳までの子ども、遙学園では2歳から18歳までの子どもたちが暮らしています。
親の離婚や病気、虐待などいろいろな事情で、保護者と離れて暮らさなければならない子どもたちが、安心して笑ったり泣いたりできるような、家庭的な雰囲気を大切にしています。
不登校や人との関係が
うまくもてない
子どもの問題と向き合う
いつも不安だったり、お友達と仲良くなれなかったり。
自分の気持ちをどう伝えて良いかわからない子どもたちの心や生活を支援しています。
生活・心理・医療・教育、各部門のスタッフがいっしょになって取り組みます。
「もっと子育てに
力を貸して欲しい」
地域の声に応える
「働く親の子育てを応援してほしい」という声に応えてつくられた2つの保育所。さらに「家庭で子育てしている親」の声にも温かく応えます。育児相談や子育てサークル、休日保育など様々なサービスへの取り組みを行っています。
思いやりのある人を
育てる教育を
「はしけの子どもをきちんと学校に通わせたい」遙先生の思いは、初めから福祉の枠に限られてはいませんでした。目では見えないものを大切にする感性、「人の痛み」を感じ取れる感性を大切に育てます。
援助を求める人がいるならば
手を差しのべる
それが、大阪水上隣保館の考え方。子どももお年寄りも障害のある人もみんなが安心して暮らせるように地域の人たちと向きあって活動はさらに広がります。